travel

韓国 食の旅 & O-CHECKのお店へ

韓国(ソウル)に行ってきました。

ご飯ばっかり食べてました。笑
焼肉、サムギョプサル、サムゲタン、ソルロンタン、ゴプチャン、冷麺、あわび粥……

"fluidify"のノート型パッケージをコラボしたステショナリーブランド、
O-CHECK DESIGN GRAPHICSのお店にも行き、おみやげ用に大人買い。

古民家をリノベーションしたカフェやギャラリーの並ぶ三清洞(サムチョンドン)や、
サムスン美術館などなど、目的の場所を巡って、短いながらも充実した旅でした。


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金沢

前回はオラファー・エリアソン展について書いたわけですが、
今回は、撮ってきた写真を何枚か載せようと思います。

冬の兼六園のディテール、
なぜかLORINAレモネード、そして ひがし茶屋町です。

ちなみにShop Rallyeに初めてお邪魔したんですが(素敵なお店でした)、
代表・近越さんイチオシの居酒屋が、驚異的においしかったです。

地図を書いてオススメスポットを色々と教えてくださり、感謝。

金沢は魅力的な街ですね。


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白神山地

白神山地と、青森、十和田に行ってきました。


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大地の芸術祭

越後妻有のアートトリエンナーレに、先日行ってきました。
田んぼのある風景、廃校になった校舎、古民家の空間が、
アーティストの手で新しい魅力ある景色に。

今回初めて行ったのですが、予想以上に楽しめました。

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エリア内に点在する作品を車でまわるのですが、
夜になって山道を下っていると、思いがけず目の前に打ち上げ花火の華が。

どうやら地元の花火大会だったらしく、誰もいない場所、
花火と同じぐらいの高さから、花火見物しました。

Irish Green

昨日まで9日間ほど、アイルランドに撮影旅行に行ってきました。


今回の旅は、記録的な豪雨が降った後の、雨上がりの夜から始まりました。

飛行機がダブリン空港に到着する直前まで、現地では記録的な豪雨が降り、
到着時、空港から市内までの道路が、至ることころで冠水という事態。

雨は上がっていたものの、タクシーは3〜4時間待ち(本当に待ったら来るのかもわからない)、空港は、あきらめて一晩を明かそうとする人たちで溢れかえっていました。

予約していたホテルまでは3キロ強の距離だったので、地図を片手に、
重い荷物を積んだカートを転がして幹線道路まで2キロほど歩いていき、
そこでタクシーを拾い、ようやくホテルに到着。

おそらく、あんなに長距離、空港のカートを転がすことはもう無いと思います。

しかしおかげで、路上にできた池のような大きな水たまりに、空港の灯りが映るという
なんとも不思議できれいな光景を目にすることができたのですが。

しとしとと、雨がよく降るアイルランド。
本来は霧雨のような雨が多いために降雨量は多くなく、
その日の雨は異常気象だと、会う人みな、口を揃えて言っていました。


そんな初日が明けた翌朝、ホテルの窓からは、
大きな池ができてしまった広大な公園の上に、完璧な半円を作る大きな虹が。

その日から、レンタカーを借りて反時計回りにアイルランドを一周、
最終日にダブリンに戻るまで、約500枚の写真を撮ってきました。

緑の種類が豊富で、
同じ緑の微妙な違いを感じるセンサーが、少し鋭敏になったような感覚。

めまぐるしく流れていく雲と、日差しの動きでくるくると変わる
風景は、以前訪れたアイ「ス」ランドより幾分、牧歌的な印象でした。

そしてまた、パブで飲む本場のギネスの旨さは、忘れられない味になりました。


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鮮色

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9月末、遅い夏休みでプーケットへ。
海の色、空の色、色々な色が、それぞれ鮮やかでした。

灼熱のNYC

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7月半ば過ぎの1週間弱、一人、ニューヨークに行ってまいりました。
新しくなったMOMAをはじめ、美術館やギャラリーを見てまわるのが主な目的の旅。

日差しの強い灼熱のNYCで、今までにかいたことのないぐらいの汗をかきながらも(笑)、
クーラーのない地下鉄の駅ではサウナ気分にさらされながらも、
質の高い芸術と活気溢れるNYCの街にふれられた充実の6日間でした。

アメリカでは当たり前のことだけれど、あれだけ様々な民族の人たちが同じ場所で暮らしていることを改めて実感したり、セントラルパークの広大な緑と摩天楼の対比を眺めたり、東京では思いもよらない色々なことを感じつつ。

建物からしてそれぞれに個性のある美術館では、作品と作品が置かれる空間の関係を考えたりもしました。

それにしても、小さい頃からあれだけの美術作品に日常的に触れられる、ニューヨーカーの子供達がうらやましい。

刺激の多いあの街で食べる本場のベーグルは、日本と違う味がしました。

★PHOTO★
MOMAの白い壁
セントラルパークの芝生
アッパーウエストサイドの街並み
チェルシーの街路樹
ヴィレッジの公園
ロックフェラーセンターにいたペンギン
夜のミッドタウン1
夜のミッドタウン2

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昨日まで10日間ほど、フィンランド経由でアイスランドに行ってきました。

日本では情報も手に入りにくい、人口の少ない小さな国。
アイスランドに行くと言うと「え?アイルランドじゃなくて?」と聞き返されるのが常(笑)。

いくつかのサイトに載っていた写真を見て、
きれいなところなんだろうと期待していたのですが……

実際は、ふさわしい形容詞が見つからないほどに、本当に素晴らしい場所でした。

首都(といっても大きめの町のようなもの)から車で20分も走れば、
信じられないような景色が一面に広がっていて、
あらゆる種類の雲が浮かんだ空は、無限に広くて。

しかもその景色は、少し走っただけでみるみる表情を変えていくのです。
次々に現れる、見たこともない光景。

郊外へ行くと、地平線まで他の車や人がいない場面が当たり前で、
そこにひろがる自然に包み込まれるような感覚を、何度も覚えました。


シガー・ロスのスタジオは、住民が100人もいないような村で、
草原があり、小川の流れる、とてもきれいな場所にひっそりと佇んでいたこと。

滞在中、mumとslowblowのライブがあることを偶然知り、
彼らの地元の、ピアノの発表会にでも使われそうなこぢんまりとした会場で、
とてもアットホームな雰囲気のライブを見られたこと。

そしてライブ終演後、会場を出ようとしたその時、
なんと、ビョークに会えたこと。

まわりのお客さんは驚いた様子もなく、ビョークも、いたって普通にそこに立っていました。

彼らの音楽が、都会の雑踏が皆無な、あの大自然に包まれた環境で生まれることに、
心の底から納得がいきました。

きれいな虹を、一日で3つも見られるアイスランド。

出会ったアイスランドの人たちもみんな素敵で、
いつの日か、再び訪れることができたらと思っています。

そして何より、あの景色を忘れずにいたい、と、そう思います。

回想、北海道

久々に、自転車のメンテナンスらしきことをやった。
中1以来の付き合いの、濃いグレーのマウンテンバイク。

チェーンに油をさしながら、僕は、それで友達と北海道を1周した高1の夏を思い出していた。

よくもまあ北海道を1周しようなんて考えたものだ。
記憶は、次々によみがえってきた。

札幌から走り始めて、いきなりチェーンがゆがんでこげなくなったこと。
トンネルで、猛スピードの巨大トラックが後ろから近づいてくるとそれがもの凄い轟音だったこと。
左手に海、右手には原野を臨む道が、どこまでもまっすぐ続いていたこと。

スーパーの自転車置き場で、ダンボールの中で寝たこともあった。
15才だった僕は、ダンボールの優れた保温効果を知ったのだ。

「カーカー」というけたたましい鳴き声で起こされた朝、テントを出ると、なぜか外に出しっぱなしになっていた貴重な朝食、コーンフレークがあたり一面に散らばっていて、それを黒い鳥の集団が夢中でついばんでいる光景を目の当たりにして、言葉を失ったこともあった。
あの時のショックは忘れられない。

そういえばある晩、道端の寝床を決めた後で、銭湯の場所を向かいにあったドーナツ屋のおばさんに聞きに行ったことがあった。
1時間後、銭湯から戻ってきた僕らは、とめておいた自転車のハンドルにドーナツが山ほど入ったビニール袋がぶら下がっているのに気づいたのだ。
「毒入りだったらどうするよ?」とかいって微妙に警戒しつつも、飢えた高校生にとっては食べる方が先。
ドーナツ屋はもうシャッターを下ろしてしまっていたので、翌朝、僕らはお礼のメモを残してその場所をあとにしたのだった。

エピソードの全ては、ここには書ききれない。
思い返せば、なんとも濃い14日間だった。

日本地図で北海道を見ると、今でも時々、自転車で走ったことを思い出す。
あの時、北海道を1周しようと思ってよかった。
そう思う。

島の時間

友人の撮る映画の撮影のため、2泊3日で三重県にある小さな島に行ってきた。

神島は、周囲4キロほどの本当にこじんまりとした島。
1時間も歩けば一周できてしまう。
集落は、島民全員が知り合いなのではないだろうか、と思うほどに小さい。
スピーカーからは、彼らにしかわからないローカルな連絡事項がアナウンスされる。
数少ない道行く中学生、高校生は、みんな僕たちに挨拶をする。

時間の流れ方が違う、と思った。
島では、外との接触機会が少ない分、独自のコミュニティーが成立したのだろう。

撮影は駆け足で行われ、ゆっくりできる時間がほとんど無かったのが少し心残り。
時間さえ許せば一週間ぐらいを過ごしたい、とてものどかで魅力的な空間だった。

I'M BACK

3週間ぶりの日本。
携帯の電波も、しっかり3本立っている。

部屋の壁に掛かった、6月のままのカレンダーをめくる。

そして今、3週間分の日記を打ち終えた。

はたして、全部読んでくれる人はいるのでしょうか。
半分は自分のための記録として載せました。
もし興味がおありでしたら読んでみてください。
特に危ない目にも遭わず、そういう意味では平凡な日記ですが(いい意味で)。

明日は早速、今ベトナムにいるキノシタ抜きでバンド練です。
久々で、気合入ります。


>今聴きたい曲 PETSET ”THE MODERN ADVENTURE”

上海→神戸(フェリー)

思えば今回の旅は、中国についてほとんど何の予備知識も無いまま始まった。

訪れたい場所を考えたのは行きの船の中。
移動ルートも最後まで流動的。

そして中国という国は、僕に様々な印象を残した。

広さや人の多さはある程度予想していたこと。
最初に驚いたのは、この国における交通規則の無意味さだった。

信号はあって無いようなもの。
歩行者は赤信号をものともせず、すきを見て横断。
車も強気。
歩行者や他の車にすきを与えまいと、どんな時も決してスピードを落とさない。
前の車にぴたりとついていき、タイミングを見はからって加速、
反対車線に平気で飛び出して追い抜いていく。
街ではクラクションが鳴り止むことが無かった。

上海を除いて僕らの訪れた6都市は、その規模に大小はあるものの、下町の雰囲気が基本的によく似ていた。

人々は道端で麻雀、囲碁、トランプなどをしている。
共産主義時代の名残りか、通りにずらりと並んだ店の間口はすべて同じ。
食堂や床屋がとても多い。
誰しもごみをそこらじゅうに捨てるのに
道がそれほど汚れていないのは、誰かが掃除しているからなのだろうか。

上海や北京をはじめとする高層ビルの建設ラッシュは、
この国がこれからますます発展していくであろうことを予感させた。

この国には壮大な歴史がある。
各地で目にした歴史の断片。

何千年もの間、中国は世界の最先端をいっていた。
再びトップに踊り出る日は、そう遠くないのかもしれない。

揺れる船室のベッドの上で、そんなことを考えていた。

上海→神戸(フェリー)

昼過ぎ、上海国際フェリーターミナルで中国出国。

低気圧のせいで、海は少し荒れている。
窓越しに聞こえる波しぶきの音。

日本に帰ってからしなくてはいけないことを考えていたら、急に現実に戻った気がした。

そして船が進むにつれて、
今日の午前中まで現実だった中国での日々が、記憶の世界に遠のいていく感覚を覚えた。

上海→神戸(フェリー)

上海最後、中国最後の一日。

みやげ物街で、あやしいパンダと遭遇。
スイッチオンで謎めいた音楽を流しながら歩き出すパンダ。
しかも黄緑色に光る目。

「60元!」

「タイ・グイ・ラ(高すぎ)!」

結局、10元で落札。

スタバではオリジナルタンブラーを入手し、コンビニでライチゼリーを購入して中国土産は完璧か。

それにしても10元のパンダ、いかにもメイド・イン・チャイナでいい味出しすぎです。

上海

この旅で初めて、本格的な雨に降られた。
やっとやって来た折り畳み傘の出番。

雨のおかげで涼しい一日。
路上の水たまりにネオンが反射して、一層まぶしい夜の繁華街。

街をぶらぶら歩きながら、僕の頭の中ではくるりの”GO BACK TO CHINA”、ミッシェル・ガン・エレファントの”ハイ!チャイナ!”、そして友達が半分ネタでCDを持ってきた井上陽水の”なぜか上海”、以上3曲が繰り返し流れていた。

上海

昨晩洛陽を出た列車は、18時間後の午後2時、上海に到着。
2週間ぶりに戻ってきた上海。

洋風な建物群、コンビニ、外国企業のネオンサイン、東京以上の夜空の明るさ。
上海はやはり、中国の中で特異な街だ。

ここへ来て、”ちょっといいもん食おうぜ”ってことでガイドブックにあった広東料理店へ。
それでも一人800円未満。
ちなみにこの店で、中国においてvegetablesはチンゲン菜を指すことを知る。

久しぶりの上海は、他のどの街よりも日本的で、上海に”帰ってきた”気がした。

洛陽→上海

三国志、関羽の墓がある寺の前の、ちょっとした広場。
小学校5、6年生ぐらいの男の子が、水をつけた筆で石畳に文字を書いている。

うまい。

とても小学生とは思えぬ端正な字と、的確な筆運び。
しばし見とれる。

ふと横を見ると、70歳ぐらいのおじいさんの姿。
男の子に習字を教えているのだろうか。

僕らが日本人旅行者だと知った彼は、にこっと笑いながら筆をとった。

次の瞬間、地面に配される鮮やかな字。
すばやいながらも緩急をつけた筆運びで、信じがたいほどにきれいな字をつづっていく。

唖然。

中国語で「洛陽へようこそ、日本人の皆さん」と書かれた石の上の文字は、
強い日差しでみるみるうちに乾いて消えていき、それが本当にもったいなく感じた。

しかしその字を見たときの感動は、今もしっかりと残っている。
字によってあそこまで感動させられたのは、初めてかもしれない。

僕の通っていた中学、高校では、毎週筆で好きな言葉を書き、提出することになっていた。
6年間続けた習字だが、高校卒業以来、そういえば一度も筆を握っていない。

帰ったら、久しぶりに筆で字を書いてみよう、と思った。

嵩山→洛陽

洛陽に向かうエアコンなしバス。

窓から吹き込む温風。
それでも乾いた空気のおかげで暑くはない。
走っている限りは。

止まると無風。
灼熱地獄。

連れのO君はペットボトルの水を首筋や頭にふりかけ、気化熱を利用して体を冷やしている。
彼は気化熱中毒になってしまったのか、10分に1回、その動きを繰り返す。

到着した洛陽の街。

暑い。
発表された最高気温は40度。
しかし日なたは、50度近いのではと思うほどの暑さ。
というよりむしろ熱さ。
焼かれたアスファルトから、熱風が上昇気流となって吹き上がってくる。

街のレストランで注がれたお茶に、茶柱が立った。
ウエイトレスに茶柱を指差すが、意味がよくわからなかった様子。

どうやら中国に、茶柱にまつわる迷信は存在しなかったらしい。

嵩山

鄭州から”少林寺”のある嵩山まで、バスで約2時間。

途中で、隣の席に2人の少年が座った。
早速、木下に教わった「ニン・グイ・シン(あなたの名前は何ですか)?」を使う。

一人は王君、もう一人は李君という名だった。

ガイドブックにある「旅の中国語コーナー」の文章を指差したり、
筆談したりして意思疎通をはかる僕ら。

彼らは嵩山に着く前にバスを降りていった。

少林寺周辺には少林拳を教える学校が多くあり、小さい子供も大勢稽古に励んでいる。

乗り換えたバスの中で偶然、少林拳の師範と出会い、なぜか型を伝授される。
太もも筋が痛かった。

夕方、嵩山を包む燃えるような夕焼けは、
少林寺が建立した1500年前から変わらぬ夕焼けなのだろう。

北京→嵩山

昼前には万里の長城から戻った僕らは、
アジア最大のスターバックスで、焼け付くような日差しから避難していた。

北京、暑すぎ。
夏に来る場所ではないことが分かった。

でも、空の青さはなぜか尋常ではない。
立ち並ぶ建物とのコントラストは、まるでCG合成を見ているよう。

「せっかく北京にいるわけだし」ということで京劇を観た後、向かった先は北京西駅。

そして今、嵩山に近い鄭州に向かう夜行列車は、ゆっくりと走り始めた。

北京

朝の天壇公園(Temple of Heaven)。
中国人たちはそれぞれに”日課”をこなしている。

太極拳、社交ダンス、胡弓、羽子板のようなスポーツ、
そしておばちゃんがたによる、摩訶不思議なチアリーディングのようなエクササイズ。

そんな健康的な彼らとは逆に、北京の猛暑にダウン気味の僕ら3人。

今日はほとんど1日中ホテルにいた。
ここで無理すると、この先がやばい。

明日には全快、の予定。

北京

午前5時半。
眠い目をこすって車窓をのぞくと、外はもう明るい。

朝の陽光が日本にはない地形を照らし、
その景色は列車が進むにつれて次第に変化していく。

飽きない電車の旅。
そして到着した北京。

広い。
そして暑い。
暑すぎる。

あまりの暑さにたじろぎ、マクドナルドで水分補給。

しかし中国のファーストフードは、どこへ行っても人が多い。
100%うまった席。
レジの前の行列。
そして問答無用の強引な割り込み。

この割り込みをさせない技術は、中国を旅行する上で重要といえるだろう。

フフホト→北京

幅60cm、長さ170cmのベッドが縦に3段。
その3段ベッドが一車両に22台。

僕は今、9号車12番の中段にいる。

上段のベッドとの間は60cmほどで、座ると頭がつかえてしまう。
ここはまさに寝るためだけのスペース。

中国の特急はスピードが遅い。

北京に到着するのは11時間後、明日の朝だ。

スペースは広くないものの、思ったよりも快適な空間。
もっと狭くて、汚いかと思っていた。

電車の揺れは眠気を誘う。

明朝は目覚めれば首都、北京だ。

フフホト

大草原を後にして、車で2時間の市内に戻る。

内モンゴルらしく、看板の中国語に併記されたモンゴル文字。
”ケンタッキー・フライドチキン”にもモンゴル文字が添えられている。

夜、湯の出ないシャワーにより必然的に水シャワーを浴びる。
始めは少し冷たいものの、クーラーなしの部屋において風呂あがりは爽快。

そんなわけで、今、爽やかな気分でこの日記を書き中。

フフホト

ここでは、あまりにも広大な景色のせいで人がとても小さく見える。
仰向けに寝転がると、360度の空が広すぎる。

時の流れがスローモーションになり、
遠くを飛ぶ鳥のスピードもゆっくりに感じた。

”silent roar”という曲は去年の夏に作ったもので、自分達の中には”草原”のイメージがある。
ここ、内モンゴル・フフホトの大草原で”silent roar”を演奏したら最高だろうなあなどと、膨らむ妄想。

夕日が地平線の向こうに沈んで空が徐々に徐々に暗くなると、
同時に星の数は増していき、やがて満天の星空に。

久々に見た天の川。

こんなところに暮らしてみるのも悪くないかも、と思った。

西安→フフホト

西安の街をぐるりと囲む城壁の上を、レンタサイクルで爆走。
ノリで借りた3人乗りのタンデム自転車はこぎづらい。
そして城壁の上は陰がなくて暑い。

でも城壁の上を自転車で走ったことで、なぜかこの街でやるべきことは済んだ気になった。

午後9時半、3時間遅れの飛行機で、内モンゴル自治区のフフホトへ。
到着が遅れたせいで宿探しは大変になったものの、搭乗を待つ飛行場で中華弁当が配られたので、満足の夜。

西安

西安の景色は霧がかかったように白い。
城壁に囲まれたこの街では、常に埃が舞い上がっているのだ。
シルクロードはここが起点だという。

ホテルでぼんやりテレビを眺めていると、ごく普通のエンタテイメント番組のバックで聞き覚えのある曲が。

エイフェックス・ツイン!

まさかこんな所で聞けるとは。

おそるべしエイフェックス・ツイン。
おそるべし番組制作者。

中国は、侮れない。

張家界→西安

中国においては、パソコン=ゲーム機らしい。

張家界のインターネットカフェ(カフェとは言えないかも)。
満員に近い客の99%は熱心に画面を見つめ、ゲームにいそしんでいた。

僕はと言えば、久々にメールやeuphoria_BBSをチェック。
日本語は、入力はできないものの読むことは可能だった。

外国に来ると特に感じることだが、インターネットはすごい。
英語もほとんど通じないこの町で日本の親や友人からのメールを読むと、不思議な感覚、遠くのものが急激に近づいたような感覚を覚える。

この感覚も、だんだんと当たり前になっていくのだろうか。

ローマ字でメールに返信し終え、料金を払った僕は、
画面に夢中の中国人が所狭しと肩を並べるその店を後にした。

張家界

張家界郊外の町を流れる川。

切り立った無数の岩山を背景に、地元の子供たちが水遊びをしていた。
小学校低学年ぐらいの男の子が20人近く、泳いだり、飛び込んだり、水をかけあったり。

この町では、中学生ぐらいで働いている少年も見かける。
働かなくてはいけない年齢になる前の彼らは、とても無邪気に遊んでいた。

少し離れたところでその光景をながめていると、近づいてきた1人の男の子。
好奇心旺盛な彼は、この町で生まれ、この町で育ち、やがて働くことになるのだろうか。

互いに通じない言語で会話のようなものをしながらそんなことを思いつつ、
「再見!」と言って彼に別れを告げた。

張家界

切り立った岩山と清流。
仙人が住んでいそうな風景。

ここ武陵源は、一帯の風景そのものが世界遺産に認定されている。

水墨画そのままの世界は圧倒的だった。


夜、ホテルにて”Tシャツをバスタオルの上に置き、くるくる巻いてしぼる”という手動脱水の方法を発見。
脱水機の無い場所ではかなり有用。
大発見。

上海→張家界

夕方、水墨画の風景を求め、張家界へ向けて上海を発つ。
中国東方航空。
墜落しないことをいのりつつ、無事到着。

暗くなってから着いた張家界の街は、田舎らしく上海より広々していて、
あいかわらずの夜の街の怪しさはあったが、少しほっとした。

上海

ツムラの”温泉のもと”には驚いた。
かと思えば生きたカエルやヘビ(食用)も売られている。

上海のスーパーは面白い。

日本語表記はプラスイメージを持つのか、並んだ日本製品の商品名は日本語のままのものが多い。
中には明らかに中国製品にむりやり日本語を書いたものもあり、
”ウっかせい(らっかせい)”や”ビスタチオ(ピスタチオ)”といった表記も見られた。

夜の裏道は怪しい。
オレンジ色の街灯。
道端には大量の生ごみ。
鼻をつく悪臭。
きれいにライトアップされた川沿い地帯のすぐ裏に、そんな日常を見た。

上海

泥の色に濁った黄浦江と、その向こうに林立する近代的なビル。

水と都市という風景はニューヨークを思わせるようでもあり、
真新しい高層ビルと古くて薄汚れた建物は、不思議なコントラストとなっていた。

昼12時、上海上陸。

通りにあふれるぺプシコーラとケンタッキーの広告。
資本主義の波とそれを受け入れた上海人。

至る所にあるコンビニ。
生茶やサントリーウーロン茶の砂糖入りをはじめ、日本製品も多い。

夜7時にはホテルに戻り、W杯決勝観戦。
中国語の中継でブラジルの優勝を見た。

夜9時、窓の外の空は紅い。
東京よりも明るい夜空の下、今日も上海の街が眠ることはないのでしょう。

大阪→上海(フェリー)

今日も一日中雲が切れることは無く、
窓の外は濃い青の海と灰色の空、そして時折大量に出現するくらげ。

一日中変わらぬ風景。

大阪→上海(フェリー)

鳴りやむことのないモーター音と、何秒かごとにやってくる揺れ。

船上で夜を明かすのは初めてのこと。
カラオケルームから聞こえる中国人の熱唱をBGMに、揺れる船の上でする卓球はスリリング。

夜11時、甲板に出てみる。
さっきまで降っていた雨はあがっているが、星は厚い雲に隠れてまったく見えない。
真っ暗な世界から徐々に目がなれると、ぼんやりと水平線が浮かんだ。
下を見ると、船のスクリューによって海面に白い泡が立っている。

”遣唐使とか、どうやって夜の海を進んだんだろう”と友の一言。

夜の海には、昼見るそれとは明らかに違う”怖さ”のようなものがあった。

いざ旅立ち

ただ今、一緒に大陸を旅する大阪の友人宅におじゃまし中。
明日は男3人、中国への旅立ち。

大阪を出航した船が上海の地に到達するのは、船上で2泊したのち。
2泊3日も、海の上で何をしてればいいのでしょう。

とりあえずは、到着後の具体的な行動予定を立てなくては。
水平線に沈む夕日も楽しみであります。

さて、はたして、中国でこの日記を書ける機会はあるのだろうか。
ネットカフェがあっても、日本語ソフトが入っているかは微妙だし。

そんなわけで、僕の日記はしばらく更新されなくなるかもしれません。
まあ日記はノートかなんかにつけておいて帰国後一気に載せるかもしれませんし、写真も沢山撮ってこようと思ってますんで。

中国語をまったくしゃべれない3人の苦労談はまた後ほど、ということで。

いってきます。

無人島レコード

悩むのはわかっていた。
だから直感ですぐに決めた。

中国旅行に連れて行くMD5枚を選んだのだ。
10枚でも良かったのだが、極力荷物の重量を減らすためと、どうせ10枚でも散々選びかねるのが分かっていたこともあり、あえて5枚と決めた。

ある意味、無人島に持っていく5枚のレコード状態。
MDラックの中で目に止まったものをぱぱっと、時間をかけずに決めた。


MUM "YESTERDAY WAS DRAMATIC - TODAY IS OK"
BOLA "FYUTI"
SUPER FURRY ANIMALS "RINGS AROUND THE WORLD"
JIMMY EAT WORLD "CLARITY"
RADIOHEAD "KID A"
以上。

音楽は、違う場所で聴くと、違う感じ方をする。
中国で聴く上の5枚のレコードは、一体どんな聴こえ方をするのだろう。

明日は上海行きの船の出る大阪に向けて出発、大阪の友人宅に宿泊予定。

go・to・ちゃいな

中国への出発が近い。

わたくしサトウショウタ、今月28日から来月23日あたりまでの約3週間半、中華人民共和国を旅してまいります。
大陸の空気を吸ってきます。
4000年の歴史を、この目で見てきます。

そういえば、中国のとあるインターネットカフェが火事になったことで、中国全土のインターネットカフェが営業停止になったとか。
うーん。
まあ、すぐ再開するでしょう。

できることなら、中国で、リアルタイムにこの日記を書いてみたいものです。


>今聴きたい一曲 Fiona Apple "across the universe"