精神の自由

フランクルの『夜と霧』についてふれていた、6/4の森川のVOICE。
それを見て僕も、高校の授業で『夜と霧』を読んだときのことを思い出しました。

その本の中でも特に印象的、衝撃だったのは、精神の自由について書かれた部分でした。

いわゆる「自由」は一切奪われる強制収容所の環境でも、
その環境において自分はどうふるまうか、という精神の自由は、誰も奪うことができない、
と、そこには書かれていました。

被収容者を外的、物理的には束縛できても、彼らの内面には精神の自由が残されていた。
その証拠に、なけなしのパンを、自分よりも弱っている隣人に譲った人たちがいた、と。

彼らは、精神的には自由だった、だからそうしたふるまいができた、というのです。

もちろん、僕たちはこういった極限状態にいるわけではありません。
でも、これを読んだとき、とても大切なことを教えられた気がしました。

状況は与えられるもので自分で変えることができなくても、
そこで何をするかは、いつでも自分次第なのだ、ということ。

良い状況を期待するのではなく、今、この瞬間に自分は何をしたらいいのか、
それを問い、行うことで、人生に意味が与えられる、ということ。

これらをはじめ、『夜と霧』に綴られたフランクルの言葉は、
崇高だけれど、同時にとても身近で、感動を覚えました。

そしてこのことは、きっとこれからも考えていこうと思っています。