青梅街道にて

リハの後、森川の車の中で、
完成間近の"silver lining"限定CDに収録される曲を聴きました。

森川が、5分で帰れるところを30分かけてドライブしながら
これを聴いていた理由がよくわかりました。

自分たちで言うのも難でありますが、ずっと聴いていたくなるんです、この音源(笑)。
完成間近に到った音源を繰り返し聴きながら、僕はうれしくなってしまいました。

ほんと、みなさんに、早く聴いていただきたいなあと思います。
そういった意味でも、"silver lining vol.1"が本当に楽しみです。

ハンドメイド

キノシタとのリズム隊練習から帰宅後、
"silver lining"当日に入口に掲げるポスターを作りました。

6/28、入口付近に"silver lining vol.1"と大きく書かれた横長のポスターがあれば、
それは今日僕が作ったシロモノに他ありません(笑)。

出力した紙を貼り合わせるハンドメイドな作業は地味ですが、
"silver lining"に来てくれる多くの人の目にふれることになると思えば、楽しい作業です。

そんな感じで、準備は着々と進んでおります。

混ざりあうリズム

音楽を聴きながら、パソコンのキーボードをたたいていた。

かたかたと。

そうしたら、キーをたたくせわしなくて不規則なリズムが、
ゆるりとした心地よい8ビートのリズムと混じりだした。

こうやってみると、キーボードをたたく音も心地よい。

精神の自由

フランクルの『夜と霧』についてふれていた、6/4の森川のVOICE。
それを見て僕も、高校の授業で『夜と霧』を読んだときのことを思い出しました。

その本の中でも特に印象的、衝撃だったのは、精神の自由について書かれた部分でした。

いわゆる「自由」は一切奪われる強制収容所の環境でも、
その環境において自分はどうふるまうか、という精神の自由は、誰も奪うことができない、
と、そこには書かれていました。

被収容者を外的、物理的には束縛できても、彼らの内面には精神の自由が残されていた。
その証拠に、なけなしのパンを、自分よりも弱っている隣人に譲った人たちがいた、と。

彼らは、精神的には自由だった、だからそうしたふるまいができた、というのです。

もちろん、僕たちはこういった極限状態にいるわけではありません。
でも、これを読んだとき、とても大切なことを教えられた気がしました。

状況は与えられるもので自分で変えることができなくても、
そこで何をするかは、いつでも自分次第なのだ、ということ。

良い状況を期待するのではなく、今、この瞬間に自分は何をしたらいいのか、
それを問い、行うことで、人生に意味が与えられる、ということ。

これらをはじめ、『夜と霧』に綴られたフランクルの言葉は、
崇高だけれど、同時にとても身近で、感動を覚えました。

そしてこのことは、きっとこれからも考えていこうと思っています。

あれは昨日か、一昨日か。

月曜夜から火曜朝にかけ、限定音源のためのレコーディングをしていたため、
曜日感覚が狂って、今週はまだ始まったばかりのような気がしています。

今回のレコーディング、今までよりも明らかに、
3人の持つ”録りたい音”のイメージがはっきりしてきたように感じました。

時間帯が時間帯なだけに大変ながらも、そういった意味で楽しいレコーディングでした。
深夜8時間、休憩らしい休憩は1回のみ、とは集中力の限界への挑戦でもありましたが(笑)。

仕上がりがとても楽しみです。