2003年05月18日
追求する過程
最近、こんな言葉を教わった。
”今の一当は昔の百不当の力なり”。
道元禅師の『正法眼蔵』の中で示されている言葉だそうだ。
弓で矢を射るが、はじめは全く当たらない。
しかし、的に向かって射続ければ、必ず命中する時が来る。
そしてその”一当”は、それまではずしつづけた”百不当”が無ければ存在しなかった一当である、という。
何かを目指して努力することに、無駄なことは一つもない。
たとえそれが”不当”、失敗であったとしても。
追求する”過程”。
euphoriaとしても、それは大切にしたいと思った。