2003年04月05日
春雨を浴びる桜の木
散った桜の花びらが、
雨のせいでぴったりと地面にくっついている。
冬のように寒い、春雨の一日。
雨について歌われたその曲を聴きながら、
それを初めて聴いてからすでに3年が経とうとしていることに気がついた。
あの時はまだ、高校生だった。
そしてこの4月から、何人かの友達は社会人になった。
みんながそれぞれの場所で、同じように流れる時の中で、それぞれの時間を生きている。
そういえば、昔、僕はある時に気がついたことがある。
今すれ違ったあの人にも、道路の向こう側を歩いているあの人にも、
それぞれが過ごしてきた時間が、確かに在るのだということ。
僕はそれを友達に話したが、彼は当たり前じゃないか、と言いたげだった。
でも、僕にとってそれは当たり前ではなかった。
当たり前ではないことを伝えたかったが、うまく伝わらなかった。
全く違った人生を歩んできたであろうあの人は、
例えば15年前のある日、僕が幼稚園の園庭でトランスフォーマーごっこに夢中だった瞬間にも、
確実にどこかで生きていて、何かをしていた。
今、この場所ですれ違って、この先またそれぞれの時間を過ごして、
またどこかで気づかずにすれ違うかもしれないし、
ひょっとしたら知り合いになるかもしれないし、
もう二度と会うことはないかもしれない。
そう考えていくと、誰かと出会うということは、実は、とてもすごいことなのだろう。
それぞれが過ごしてきた全く違った時間がその場所で初めて重なって、
同じ時間を共有することになるのだから。
あの日、僕が伝えたかったのは、きっとそんなことだったのだと思う。