まだ名もない曲

ギターと歌、そして大まかなドラムの入った”まだ名もない曲”に合わせて、ベースを弾く。
先週森川から受け取ったデモ。
それをステレオで流しながら、ベースラインをあれこれ考えた。

euphoriaの曲は基本的に、3人で0からジャムりながら作るケースと、森川が最初に作ったギターと歌のデモ(イメージとなるリズムやベースが入っている時もある)に後からドラムとベースをつける場合とがある。

前者は例えばsilent roarやBilly Moon's Blueがそうで、
後者はminty oceanやreasonを作ったときがそうだった。

いずれにせよ、ベースラインを試行錯誤する作業は楽しい。
まず、直感で何も考えずに弾く。
そしてコードを意識して、ルートを鳴らしてみる。
そこからあえてルートをはずしたり、動いてみたりする。
最終的には客観的に”聴きながら”弾いて、一番しっくりくるラインで決定。

ベースで、曲の聴こえ方はがらっと変わってしまう。
そこが面白い。

受け取ったデモにベースをつける作業。
それを最初に経験したのは去年の1月、”melting into Einstein's brain”を作った時だった。
森川と木下のギターとドラムが入ったMDを、2人は受験勉強をしていた僕のところに持ってきた。
その晩、それを聴きながら思った。
「よし、曲ががらっと変わるようなベースを考えて2人を驚かせてやろう」と。
受験生は”気分転換”と称してベースを手にした(今となっては笑い話)。

そしてそれは、”melting into Einstein's brain”の静の部分(ギターが歪む前の部分)になった。

今作っている曲は、ギターが複雑なコードを弾いている。
こういう曲はベースも考えがいがある。

いい曲になりそうだ。
おそらく、ライブで演奏できる日も近い。

大自然と音楽

フジロック会場の苗場から、本日帰還。

"自然の中で音楽を聴ける幸福"を、大いに味わってきました。
そこには同時に"自然体で音楽を聴ける幸福"もありました。

ライブハウスで観るライブと比べた時、フェスティバルでは、演奏をより自然体で聴ける気がします。
出演バンドリストを眺めて、行きたい会場まで歩いていって、するとそこで演奏が始まっていて。
ステージ前に行って間近で見たり、遠くの方ででゆったり聴いたり。

ところで今回、自分的に一番良かったのは、Polaris。
一番奥にあるステージ、FIELD OF HEAVENで聴いた彼らの音楽は、最高に心地よく、僕の脳内ではα波が出まくっておりました。

I'M BACK

3週間ぶりの日本。
携帯の電波も、しっかり3本立っている。

部屋の壁に掛かった、6月のままのカレンダーをめくる。

そして今、3週間分の日記を打ち終えた。

はたして、全部読んでくれる人はいるのでしょうか。
半分は自分のための記録として載せました。
もし興味がおありでしたら読んでみてください。
特に危ない目にも遭わず、そういう意味では平凡な日記ですが(いい意味で)。

明日は早速、今ベトナムにいるキノシタ抜きでバンド練です。
久々で、気合入ります。


>今聴きたい曲 PETSET ”THE MODERN ADVENTURE”

上海→神戸(フェリー)

思えば今回の旅は、中国についてほとんど何の予備知識も無いまま始まった。

訪れたい場所を考えたのは行きの船の中。
移動ルートも最後まで流動的。

そして中国という国は、僕に様々な印象を残した。

広さや人の多さはある程度予想していたこと。
最初に驚いたのは、この国における交通規則の無意味さだった。

信号はあって無いようなもの。
歩行者は赤信号をものともせず、すきを見て横断。
車も強気。
歩行者や他の車にすきを与えまいと、どんな時も決してスピードを落とさない。
前の車にぴたりとついていき、タイミングを見はからって加速、
反対車線に平気で飛び出して追い抜いていく。
街ではクラクションが鳴り止むことが無かった。

上海を除いて僕らの訪れた6都市は、その規模に大小はあるものの、下町の雰囲気が基本的によく似ていた。

人々は道端で麻雀、囲碁、トランプなどをしている。
共産主義時代の名残りか、通りにずらりと並んだ店の間口はすべて同じ。
食堂や床屋がとても多い。
誰しもごみをそこらじゅうに捨てるのに
道がそれほど汚れていないのは、誰かが掃除しているからなのだろうか。

上海や北京をはじめとする高層ビルの建設ラッシュは、
この国がこれからますます発展していくであろうことを予感させた。

この国には壮大な歴史がある。
各地で目にした歴史の断片。

何千年もの間、中国は世界の最先端をいっていた。
再びトップに踊り出る日は、そう遠くないのかもしれない。

揺れる船室のベッドの上で、そんなことを考えていた。

上海→神戸(フェリー)

昼過ぎ、上海国際フェリーターミナルで中国出国。

低気圧のせいで、海は少し荒れている。
窓越しに聞こえる波しぶきの音。

日本に帰ってからしなくてはいけないことを考えていたら、急に現実に戻った気がした。

そして船が進むにつれて、
今日の午前中まで現実だった中国での日々が、記憶の世界に遠のいていく感覚を覚えた。

上海→神戸(フェリー)

上海最後、中国最後の一日。

みやげ物街で、あやしいパンダと遭遇。
スイッチオンで謎めいた音楽を流しながら歩き出すパンダ。
しかも黄緑色に光る目。

「60元!」

「タイ・グイ・ラ(高すぎ)!」

結局、10元で落札。

スタバではオリジナルタンブラーを入手し、コンビニでライチゼリーを購入して中国土産は完璧か。

それにしても10元のパンダ、いかにもメイド・イン・チャイナでいい味出しすぎです。

上海

この旅で初めて、本格的な雨に降られた。
やっとやって来た折り畳み傘の出番。

雨のおかげで涼しい一日。
路上の水たまりにネオンが反射して、一層まぶしい夜の繁華街。

街をぶらぶら歩きながら、僕の頭の中ではくるりの”GO BACK TO CHINA”、ミッシェル・ガン・エレファントの”ハイ!チャイナ!”、そして友達が半分ネタでCDを持ってきた井上陽水の”なぜか上海”、以上3曲が繰り返し流れていた。

上海

昨晩洛陽を出た列車は、18時間後の午後2時、上海に到着。
2週間ぶりに戻ってきた上海。

洋風な建物群、コンビニ、外国企業のネオンサイン、東京以上の夜空の明るさ。
上海はやはり、中国の中で特異な街だ。

ここへ来て、”ちょっといいもん食おうぜ”ってことでガイドブックにあった広東料理店へ。
それでも一人800円未満。
ちなみにこの店で、中国においてvegetablesはチンゲン菜を指すことを知る。

久しぶりの上海は、他のどの街よりも日本的で、上海に”帰ってきた”気がした。

洛陽→上海

三国志、関羽の墓がある寺の前の、ちょっとした広場。
小学校5、6年生ぐらいの男の子が、水をつけた筆で石畳に文字を書いている。

うまい。

とても小学生とは思えぬ端正な字と、的確な筆運び。
しばし見とれる。

ふと横を見ると、70歳ぐらいのおじいさんの姿。
男の子に習字を教えているのだろうか。

僕らが日本人旅行者だと知った彼は、にこっと笑いながら筆をとった。

次の瞬間、地面に配される鮮やかな字。
すばやいながらも緩急をつけた筆運びで、信じがたいほどにきれいな字をつづっていく。

唖然。

中国語で「洛陽へようこそ、日本人の皆さん」と書かれた石の上の文字は、
強い日差しでみるみるうちに乾いて消えていき、それが本当にもったいなく感じた。

しかしその字を見たときの感動は、今もしっかりと残っている。
字によってあそこまで感動させられたのは、初めてかもしれない。

僕の通っていた中学、高校では、毎週筆で好きな言葉を書き、提出することになっていた。
6年間続けた習字だが、高校卒業以来、そういえば一度も筆を握っていない。

帰ったら、久しぶりに筆で字を書いてみよう、と思った。

嵩山→洛陽

洛陽に向かうエアコンなしバス。

窓から吹き込む温風。
それでも乾いた空気のおかげで暑くはない。
走っている限りは。

止まると無風。
灼熱地獄。

連れのO君はペットボトルの水を首筋や頭にふりかけ、気化熱を利用して体を冷やしている。
彼は気化熱中毒になってしまったのか、10分に1回、その動きを繰り返す。

到着した洛陽の街。

暑い。
発表された最高気温は40度。
しかし日なたは、50度近いのではと思うほどの暑さ。
というよりむしろ熱さ。
焼かれたアスファルトから、熱風が上昇気流となって吹き上がってくる。

街のレストランで注がれたお茶に、茶柱が立った。
ウエイトレスに茶柱を指差すが、意味がよくわからなかった様子。

どうやら中国に、茶柱にまつわる迷信は存在しなかったらしい。

嵩山

鄭州から”少林寺”のある嵩山まで、バスで約2時間。

途中で、隣の席に2人の少年が座った。
早速、木下に教わった「ニン・グイ・シン(あなたの名前は何ですか)?」を使う。

一人は王君、もう一人は李君という名だった。

ガイドブックにある「旅の中国語コーナー」の文章を指差したり、
筆談したりして意思疎通をはかる僕ら。

彼らは嵩山に着く前にバスを降りていった。

少林寺周辺には少林拳を教える学校が多くあり、小さい子供も大勢稽古に励んでいる。

乗り換えたバスの中で偶然、少林拳の師範と出会い、なぜか型を伝授される。
太もも筋が痛かった。

夕方、嵩山を包む燃えるような夕焼けは、
少林寺が建立した1500年前から変わらぬ夕焼けなのだろう。

北京→嵩山

昼前には万里の長城から戻った僕らは、
アジア最大のスターバックスで、焼け付くような日差しから避難していた。

北京、暑すぎ。
夏に来る場所ではないことが分かった。

でも、空の青さはなぜか尋常ではない。
立ち並ぶ建物とのコントラストは、まるでCG合成を見ているよう。

「せっかく北京にいるわけだし」ということで京劇を観た後、向かった先は北京西駅。

そして今、嵩山に近い鄭州に向かう夜行列車は、ゆっくりと走り始めた。

北京

朝の天壇公園(Temple of Heaven)。
中国人たちはそれぞれに”日課”をこなしている。

太極拳、社交ダンス、胡弓、羽子板のようなスポーツ、
そしておばちゃんがたによる、摩訶不思議なチアリーディングのようなエクササイズ。

そんな健康的な彼らとは逆に、北京の猛暑にダウン気味の僕ら3人。

今日はほとんど1日中ホテルにいた。
ここで無理すると、この先がやばい。

明日には全快、の予定。

北京

午前5時半。
眠い目をこすって車窓をのぞくと、外はもう明るい。

朝の陽光が日本にはない地形を照らし、
その景色は列車が進むにつれて次第に変化していく。

飽きない電車の旅。
そして到着した北京。

広い。
そして暑い。
暑すぎる。

あまりの暑さにたじろぎ、マクドナルドで水分補給。

しかし中国のファーストフードは、どこへ行っても人が多い。
100%うまった席。
レジの前の行列。
そして問答無用の強引な割り込み。

この割り込みをさせない技術は、中国を旅行する上で重要といえるだろう。

フフホト→北京

幅60cm、長さ170cmのベッドが縦に3段。
その3段ベッドが一車両に22台。

僕は今、9号車12番の中段にいる。

上段のベッドとの間は60cmほどで、座ると頭がつかえてしまう。
ここはまさに寝るためだけのスペース。

中国の特急はスピードが遅い。

北京に到着するのは11時間後、明日の朝だ。

スペースは広くないものの、思ったよりも快適な空間。
もっと狭くて、汚いかと思っていた。

電車の揺れは眠気を誘う。

明朝は目覚めれば首都、北京だ。

フフホト

大草原を後にして、車で2時間の市内に戻る。

内モンゴルらしく、看板の中国語に併記されたモンゴル文字。
”ケンタッキー・フライドチキン”にもモンゴル文字が添えられている。

夜、湯の出ないシャワーにより必然的に水シャワーを浴びる。
始めは少し冷たいものの、クーラーなしの部屋において風呂あがりは爽快。

そんなわけで、今、爽やかな気分でこの日記を書き中。

フフホト

ここでは、あまりにも広大な景色のせいで人がとても小さく見える。
仰向けに寝転がると、360度の空が広すぎる。

時の流れがスローモーションになり、
遠くを飛ぶ鳥のスピードもゆっくりに感じた。

”silent roar”という曲は去年の夏に作ったもので、自分達の中には”草原”のイメージがある。
ここ、内モンゴル・フフホトの大草原で”silent roar”を演奏したら最高だろうなあなどと、膨らむ妄想。

夕日が地平線の向こうに沈んで空が徐々に徐々に暗くなると、
同時に星の数は増していき、やがて満天の星空に。

久々に見た天の川。

こんなところに暮らしてみるのも悪くないかも、と思った。

西安→フフホト

西安の街をぐるりと囲む城壁の上を、レンタサイクルで爆走。
ノリで借りた3人乗りのタンデム自転車はこぎづらい。
そして城壁の上は陰がなくて暑い。

でも城壁の上を自転車で走ったことで、なぜかこの街でやるべきことは済んだ気になった。

午後9時半、3時間遅れの飛行機で、内モンゴル自治区のフフホトへ。
到着が遅れたせいで宿探しは大変になったものの、搭乗を待つ飛行場で中華弁当が配られたので、満足の夜。

西安

西安の景色は霧がかかったように白い。
城壁に囲まれたこの街では、常に埃が舞い上がっているのだ。
シルクロードはここが起点だという。

ホテルでぼんやりテレビを眺めていると、ごく普通のエンタテイメント番組のバックで聞き覚えのある曲が。

エイフェックス・ツイン!

まさかこんな所で聞けるとは。

おそるべしエイフェックス・ツイン。
おそるべし番組制作者。

中国は、侮れない。

張家界→西安

中国においては、パソコン=ゲーム機らしい。

張家界のインターネットカフェ(カフェとは言えないかも)。
満員に近い客の99%は熱心に画面を見つめ、ゲームにいそしんでいた。

僕はと言えば、久々にメールやeuphoria_BBSをチェック。
日本語は、入力はできないものの読むことは可能だった。

外国に来ると特に感じることだが、インターネットはすごい。
英語もほとんど通じないこの町で日本の親や友人からのメールを読むと、不思議な感覚、遠くのものが急激に近づいたような感覚を覚える。

この感覚も、だんだんと当たり前になっていくのだろうか。

ローマ字でメールに返信し終え、料金を払った僕は、
画面に夢中の中国人が所狭しと肩を並べるその店を後にした。

張家界

張家界郊外の町を流れる川。

切り立った無数の岩山を背景に、地元の子供たちが水遊びをしていた。
小学校低学年ぐらいの男の子が20人近く、泳いだり、飛び込んだり、水をかけあったり。

この町では、中学生ぐらいで働いている少年も見かける。
働かなくてはいけない年齢になる前の彼らは、とても無邪気に遊んでいた。

少し離れたところでその光景をながめていると、近づいてきた1人の男の子。
好奇心旺盛な彼は、この町で生まれ、この町で育ち、やがて働くことになるのだろうか。

互いに通じない言語で会話のようなものをしながらそんなことを思いつつ、
「再見!」と言って彼に別れを告げた。

張家界

切り立った岩山と清流。
仙人が住んでいそうな風景。

ここ武陵源は、一帯の風景そのものが世界遺産に認定されている。

水墨画そのままの世界は圧倒的だった。


夜、ホテルにて”Tシャツをバスタオルの上に置き、くるくる巻いてしぼる”という手動脱水の方法を発見。
脱水機の無い場所ではかなり有用。
大発見。

上海→張家界

夕方、水墨画の風景を求め、張家界へ向けて上海を発つ。
中国東方航空。
墜落しないことをいのりつつ、無事到着。

暗くなってから着いた張家界の街は、田舎らしく上海より広々していて、
あいかわらずの夜の街の怪しさはあったが、少しほっとした。

上海

ツムラの”温泉のもと”には驚いた。
かと思えば生きたカエルやヘビ(食用)も売られている。

上海のスーパーは面白い。

日本語表記はプラスイメージを持つのか、並んだ日本製品の商品名は日本語のままのものが多い。
中には明らかに中国製品にむりやり日本語を書いたものもあり、
”ウっかせい(らっかせい)”や”ビスタチオ(ピスタチオ)”といった表記も見られた。

夜の裏道は怪しい。
オレンジ色の街灯。
道端には大量の生ごみ。
鼻をつく悪臭。
きれいにライトアップされた川沿い地帯のすぐ裏に、そんな日常を見た。