2010年01月28日 [ everyday ]
にじみ出るもの
6:30に目が覚めて、シャワーに入って、
タオルを干すため、ベランダに出ると、
少し暖かな南風が、肌に触れて、
春が少しずつ近づいて来ていることを感じました。
ということは、もうすぐ、さくらのうたが、
増えてくる頃だなぁ、と。
以前、voiceページに「6月に ” December ”」
という文章を書きました。
さくらだったり、卒業式、クリスマス、夏の海など、
そのタイミングに合わせて、CDが発売される。
確かに、その時期にぴったりの曲は、
何割も増して気持ちよく響きます。
だから、そういったタイミングでのリリースは、
とても理にかなっているわけですが、
そのリリースに合わせるためには、
さまざまな制作プロセスと、
そしてプロモーション期間が必要で、
最も大切であろう、曲作りのタイミングは、
その季節よりも、だいたい、
3〜4ヶ月以上も前になってしまうという内容。
それが、デジタル技術の発達による、
配信を用いた楽曲公開という形態で、
どう変わっていくのでしょう。
*
別に、その季節にいなくても、
想像すれば、メロディーは浮かぶよ、という考えもある。
実際はそれで、たくさんの名曲が生まれてきているわけで。
でも、そういった音楽と、
今の季節を過ごす中で、
思わず生まれてきてしまった音楽とでは、
大きく意味合いが変わってくるよなぁ、と。
あとは、だいぶ待って、
ちょうど1年後にリリースという考えもあるかもですが、
当然、1年前のサクラと今年のサクラは違うものであるわけで。
「思わず生まれてきてしまったもの」、それを僕は、
「にじみ出たもの」として考えることがあるのですが、
その、「にじみ出たもの」が持つ表現力に、
大きな可能性を感じています。
明確でわかりやすいメッセージのあるものは、
確かに、広く伝わりやすいものです。
でも、音楽という表現を用いるのであれば、
(もちろん、絵画や文学、映像などもそうですが)、
作り手から、にじみ出てくるような、
そんな、もっと根源的な思いが、
色濃く存在していてもおもしろいと思いますし、
それを受け取る側も、表面上だけではなく、
自分のこころの奥のほうと共鳴するような、
そんな感覚があっても、すてきだなぁ、と思うのです。
なにより僕自身、そういった作品にめっぽう弱いというか、
居ても立ってもいられなくなる程に感動して、
そこから、新しい日々の時間が動き出す、
という感覚をこれまでに何度も味わってきています。
だから「にじみ出るもの」に対して、
強い思い入れがあるのだと思います。
*
でも、そういった表現は、
とても小さな存在であったり、
ある意味、脆いものでもあって。
だから、たとえば、
チャートを賑わすためにはとか、
売上をどーんと延ばすためにはとか、
いかに大多数の人に届けるかということを、
最優先にしていくと、見えなくなってくる部分や、
隠さざるを得ない部分がどうしても出てくる。
そんな考え方に左右されず、
「にじみ出るもの」を大切にし続けようという思いが、
今、急速に発達を続けている情報技術によって、
もっとひらかれたものになっていくかもしれない。
そう考えると、冷たいイメージが先行する、
情報社会というものにも、
まだまだ気づかされていない、あたたかさが、
きっと存在しているのでは、という、
ほくほくした気持ちにもなるのです。