同時に起きていることを数えてみる

僕の耳はあまりタフではないようで、
ライブを観に行っては、しばしば耳鳴りに悩まされていました。

耳鳴りの原因は、大音量で高音域を強調した
エレクトリックギターの音にあることが、多いです。
耳をつんざくような痛みを感じると、
本当はその音を避けたいと思いながらも、そこへの意識は拡大され、
結果、その音しか聴こえないというような悪循環におちいります。

でも、あるとき、気がついたのです。
強制的に、強引に、その痛みを感じる音と真逆にある音、
この場合、たとえば、ベーシストの奏でる低音に、
ひたすら意識を向けるのです。

そうすると、あら不思議、
以前のような、過剰な耳鳴りからだいぶ解放されたのです。

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これは、とてもおもしろい、興味深い現象だと思いまして。

同時に鳴らされている音であっても、
その中から、任意に、音を選びとることができるということ。

そういえば、大学の講義で音響学を受講していたとき、
"カクテル・パーティー効果" という現象を学びました。
これは、「様々な雑音が存在する状況で必要な情報を選別できること」で、
「カクテルパーティーに参加しているときに周囲が騒がしくても、
 自分の名前や知人の声を聞き分けられる」ことから、
心理学者のチェリーという人物が提唱したもの。

こういった能力は、普段、無意識で使いこなしているわけですが、
考えてみれば、すごいことなんだよなぁ、と思うのです。

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音に限らず、日常の出来事ひとつひとつにおいても、
たとえば、今、僕は、macでこの文章を打っている最中ですが、
同じタイミングで、身の回りや、
そこから少し離れたところ、そして世界中で、
同時に、いろんなことが起きていると、考えられるということ。

こうして、横軸をだんだんと広げていって、
同時に奏でられている、さまざまな日常を意識することができたら、
なんだか、少し、こころが揺れ動いて、その振動で、
あたたかさを感じることができるのではないかなぁと、思うのです。

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以前に本で読んだ、

「人が何を見ているかは見えるが、人が何を聞いているかは聞こえない」

という、美術家、マルセル・デュシャンのことばが、
当時の自分よりも、深く響いてくる今日この頃です。