自分にはなにもできない

小室哲哉被告の初公判のニュース。
テレビのコメンテーターや街角の声などが取り上げられていて、
そのほとんどは、あきれた様子や怒りや
笑いのネタのようになっているけれど、
それを見ていて、なんだかなぁ、と思ってしまう。

確かに、異常なほどの金銭感覚や売れていたときの不思議な発言など、
おやおや、と思ってしまうことは多いけれど、
果たして、もしも自分が、長者番付がどうこうという境遇にあった場合、
どうなってしまうのかと、考える。

普通の人間だったら、きっと、いろんなものが見えなくなるだろう。
それは、ごくごく自然のことのように思えます。
その境遇のなかでも、大切なものを見失わないでいるのは、
それこそ尋常ではないような気がします。
その境遇を想像すらできない僕なんて、
間違いなく、ダメになってしまうなぁ、と思うのです。

もっと規模が小さいものであれば、
今回のような状況に身の回りで出会うことがあるかもしれない。
そんなときになにができるか。
たとえば、いつも感謝の気持ちを忘れないでいれば大丈夫と思っていても、
自分が置かれた状況によっては、困難なことなのかもしれない。
こころのなかの静けさに耳を傾ける、なんてことは、なおさら難しいのだろう。
自分でなにかできるということは、思い浮かばない。

たった一つ、できうることとしては、
信頼のおける人や、家族、大切な人、友人、
身近に、その存在を大切にしていくことくらいだなぁ、と思うのです。